美学なき人―大岡昇平のまとめ


1月から読み進めていた大岡昇平全集、中央公論社からの全16巻本、ようやく読み終えることができました。

大岡昇平のことにちょっと詳しくなりました!

けれどこの全集は1976年くらいまでに出版されたものなので、当然のちの代表作である『事件』とか、名随筆とされている『成城だより』、遺作『堺港攘夷始末』などは収録されていません。

あくまでこの全集じたい『レイテ戦記』の出版を記念して刊行されたようなものらしく、後に出された完全な全集(90年代に出された筑摩書房からの24巻ものとか)に比べると、今となっては15巻にふろくでついてくる年表が、それらの全集についてくる年表よりもやや詳しい、というくらいのメリットしかないようです。あと装丁が司 修です。

なのでこの全集を読んだところで大岡昇平の半分もわからないのですが、しかしいい面悪い面どちらもわかり、またこれまで読んできた作品が皆、今も残されていて新刊で普通に買えるというだけあり「良い方」の作品に当たるので、どちらかというと悪い方の面が良くわかりました。

大岡昇平の悪い面というのはすごく単純なことで、もともと小説家ではなくて評論家、もといスタンダール研究家になりたかっただけの大岡昇平は、本質的にあんまり短編とか物語をゼロから作ることが得意でなく、むしろそういうゼロはずっとゼロのままで、それをそれでそっとした状態で、学んだフランス文学やそういうもののエッセンスだけをうまく理知的に使っていって、いろんな物語を作っていったんだということがわかりました。

なので大岡昇平の短編は基本的にすべからく「こさえもの」で、文章の隅々に三島由紀夫的な作為が感じられ、読んでいて窮屈で、ちっともその世界観に入っていくことができないものばかりでした。

来宮心中』『黒髪』など、そこに築かれた美意識の高さみたいなものは認めるにしても、ドストエフスキーを読んだときに感じるような、メルヴィルには常に大爆発を起こしているところの「余剰」部分が全く感じられず、「これはト書きなのか?」という思いをぬぐうことができません。

それだけ洗練されているという言い方はたしかにできるのかもしれませんが、それは僕の好みではないので、(そういう碑文ばりに選び抜かれた文章というのを見るとげんなりし、目を使う気力がなくなります)「悪い部分」に映ってしまいました。

また大岡昇平もそれを意識したのか、『停電の夜に』『鷹』などといった、心理学的な物事を題材として、小市民がそれについて話す風の短編をいくつか書いています。これはもちろん、上にあげた『黒髪』などのガッチガチな構成ものから脱却しようという作者の意図が感じられるのですが、こうしてひとつの題材を選び、それについて書こうという手法を取る姿勢そのものがやはり批評的と言えて、その堅苦しさが作者の「ゆるいものを書こう」という意図に引きずられ、中途半端な、何が言いたいのかさっぱりわからないちぐはぐな作品に収斂されてしまった、という風に言えると思います。

このころ書かれた短編では、ペットの犬が死んでそれを埋める妻の話である『動物』が一番よくできているなと思いましたが、この話でさえ、そもそものどうして動物が死ななくてはいけなかったのか、なぜそれを埋めるだけで話が終わるのかという部分が説明不足に感じられ、ここにも作者の手法と題材が合致しない無理があることを強く感じました。

そんな大岡昇平が短編分野で覚醒していくと感じられたのが、もともとの批評的な手法(つまり『俘虜記』の方法)に立ちかえった『逆杉』で、これも作品的には未成熟で、結局なにが言いたいのかよくわからない観察に終始しているのですが、のちの歴史小説的な手法など、開けていく視野への最初の流し目のような視点の固定が感じられて、随筆ともなんともいえない筆致ながら、他のすべての短編よりも楽しむことができました。

一寸法師後日談』『母六夜』などは『逆杉』とは少し方向が違いますが、何か題材を現実に常識的に理解され固定されている共同幻想的なもののなかに取り、それによって従来の批評的な方法でその題材に接近し、ただその表現方法だけを小説で行う、という作業が開陳されています。
どれも大岡昇平の物語的な想像力の本質的なまずさ(笑 というのはそういうのが強固にあるところが大岡昇平の一番おもしろいところだからです!)を感じさせる、残念な作品ですが(これが稲垣足穂なんかにかかればどれだけ流麗な作品になりえたかを題名から想像するだけで十分でしょう。)そこにもまた、のちの歴史小説的なものの独特な方法論へつながっていく、大岡昇平の視点の収斂していく過程を俯瞰することができます。

そしてそれが一つの形に結実したはじめが『保成峠』であると言えると思います。これは幕末、会津の大島圭介という人の敗走記をもとに、彼らがいかに敗れていったかを再体験するように追跡していく文章なのですが、これは『天誅組』で大爆発する歴史小説作法の最初の取り組みと言えるもので、まだ文章の引用が多くをしめていたり、もっぱら大島圭介に語らせながら要所要所で自分のツッコミを入れたりという手法を繰り返しているところに作者の試行錯誤が見受けられますが、これがその続編である『檜原』になって一変します。

作者は大島圭介が敗れ、敗軍の道をさまよった『檜原』近辺の山中を散策して大島圭介が見たとされる景色を見てやろうと画策しました。そこで作者が最後に知ったのは、結局「敗者の見るものはいつも同じである」という達観だったのです。おそらくこの達観が、大岡昇平により深く歴史小説へ歩ませるきっかけになったのだと思います。
何故ならこのとき大岡昇平の中で、初めて文章の中の存在だった批評対象が現実の具体的な自身の人生経験の過程と一致した具体的事実として現象したからです。
現実と文章が、もっと言うとかつて文章として保管されたある現実の体験的な記録の、その歴史的な延長として感じ取ることのできる自然の風物が、その場に出くわすという形で大岡昇平という一人の人間の体験的な歴史的現実と合致したのです。
このとき大岡昇平は初めて文章と歴史と自分の人生と批評をひとつの視座に合流させることができたのではないでしょうか。

思うに歴史小説というのは、資料をすべて当世の文書に拠らなくてはならないので、必然的に解釈学的な言述になります。つまりそれは本質的に批評であって、おそらく大岡昇平はこの世界が、過去の世界と、文章を通じていたとしてもつながっており、それは今現在の視点からも批判できるのであって、したがって歴史小説とは文章によって過去のそこにあってであろう現実を解釈し、批評する手段だという風な視点に到達したのではないでしょうか。そして歴史小説とは、歴史を常に自分の肉体によって解釈し、その延長としての現在、現代を再解釈する方法であり、それによって何か突き抜けた、ほんとうの現実とでもいえそうなものに、到達できるのではないかと考えたのではないでしょうか。
それが『檜原』のラストにある独白的なつぶやき、「結局敗兵の目に映るものはすべて同じである。」という言葉に込められた思いなのではないかと僕は思います。その一言が大岡昇平にとって一番重大な気付きだったのではないかという気がしてなりません。
『逆杉』による中途で終わったようにみられる放浪も結局のところはその言葉にたどり着きたかったように思われてなりません。

そういう決意が次に肩慣らし的な『将門記』で最初の花火を打ち上げ、そしてついに『天誅組』で結実していくのです。


大岡昇平の短編を読んでわかったのは、それらはすべて歴史小説、もっといえば『レイテ戦記』へ向かう一方通行の通路であり、大岡昇平はそのようにしか前に進めなかったので、多くの読むに値しないものも残した、そしてそれは大岡昇平の一歩一歩地面をたしかめながら歩むような進み方に由来しており、失敗と成功は大岡昇平にとって特に分割することのできない二律背反する要素だった、ということです。

またこれらの批評的短編は『無実』に収録されることになる多くの実録裁判もの、法廷もの短編にも昇華されます。これは本質的にやってることが同じなので、歴史小説作法の一つのバリエーションだと見て取ることができると思います。


短編はこれくらいにして、大岡昇平の長編についてもわかったことを書かねばなりません。
『酸素』『化粧』のことは書いたので、『雌花』、そしてもう一度『歌と死と空』についてまとめようと思います。

『雌花』は正直なところ、目もあてられない愚作ですが、ここには特に後半部分に、『事件』『歌と死と空』に見られる、執拗な捜査の描写が登場しています。
この独特かつ古典的なイギリスの探偵小説を彷彿とさせる推理の過程は、やはり短編同様、小説内にまず架空の事件をでっちあげ(これが批評対象となる)それに対する批評という形の推理を書き起こしていくことで物語を進めていく、という手法が取られて、
それが『歌と死と空』を冗長にさせ、『雌花』をなんだかわからない愚作にしてしまった、と思います。これを遊びだといえばそれまでなのですが、本当にそれだけのものしか感じられない、大岡昇平本人の口に言わせると、「主題が分裂するという、僕の悪いクセ」が一番悪くでた作品だと思います。

けどこの分裂というのはつまり、物事をさまざまな角度から常に検討していこうという大岡昇平の批評的な態度を源泉にしており、ここにもまた、大岡昇平大岡昇平以外の何者でもなかった証左があります。


だからそんな大岡昇平が一番輝くのは紀行文であり、エッセイであり、日記です。
何故なら現実の事物ほど、それに直面したときの自分の感情、その記憶ほどこの書き方で描きやすいものはないからです。
歴史小説的な史料に縛られることもなく、ただただ現実に、今そこにあるものだけに反応し続ければいいような気楽さが随所に見受けられ、僕は『ザルツブルグの小枝』ほど、自由さを感じる紀行文は他に知りません。
きっと武田百合子の『犬が星見た』を読もうとなかなか思えないのも、きっとこの紀行文の存在が脳の中でまだ反響しているからだという気がします。

エッセイ、日記はこの全集には長いものが残されていないので、もっぱら紀行文の感想が主体になるのですが、名著『ザルツブルグの小枝』のほかには、息子夫婦をNYに訪ねる『萌野』や『ロシア紀行』『コルシカ紀行』など、味わい深い作品がたくさんあり、これこそ大岡昇平だなと読んでいて楽しくなりました。
だいたい『俘虜記』じたいが俘虜収容所旅行記のようなもので、その観察はやっぱり独特の変人観を主体にしており、やっぱり何度読んでもこの人は全く理解できないと思って、読んでいて楽しくなるのだと思います。


大岡昇平というのは、今ここで結論を出すのは少し性急ですが、徹底的に「視る人」なんだと思いました。
幻視家、というものではありません。今ここにないものは、ないものであるという思い切りが、大岡昇平には充満しています。
別に人より気付きが素早いとか、そういうことではなくて、そういうことをいうなら、大岡昇平にもなかなか、変な人だなあで済むような、しょうもないところもたくさんあったであろうことは、そのいろいろな発言などを読んでいるとわかろうものですが、視点とは、物事を視るとは、そういうことではないようです。
大岡昇平が教えてくれる物事を視ることとは、つまりその本質について、自分でひとつでも納得できないところがあれば、それをもみ消さず、徹底的に洗い、それでもまだその本質に納得がいかないなら、その本質は納得いかないものだと思えというような、物事に直面することの徹底的な作業工程化と、その工程の息が詰まるような個人的努力によっての徹底です。

つまり、何か人知を超えたものの見方があり、その域に達せよということではなく、人間一人ひとりが、今よりもう1分頭を使えば、今の状態よりも頭をよく使っていると言える、であれば、人は、今よりもう1分頭を使うべきであるというような、そういうごくごく常識的なところに立っての、物事を視ることの徹底を、大岡昇平は敢行しているのです。

大岡昇平自身には、おそらく、何の美学もなかったのだと思います。
フランス文学研究者、スタンダールの存在、『花影』『武蔵野夫人』といった美的な作品はたしかに大岡昇平にそういう花の部分があったことを強くにおわせますが、本当はそれは一種の幻影で、むしろ美学のない大岡昇平だからこそ、終生離すことのできなかった、理解しようと努めるに余念のなかった研究課題だったのだと思います。
そしてこういうものへの立ち向かい方こそ、物事を視る人である大岡昇平の、まさにその姿そのものなのです。
大岡昇平に美学があるのではなく、大岡昇平にあるのは現実的な視座から身動きできない人間からの、一方通行のそれへの憧れだけです。大岡昇平は一生スタンダールのような小説は書けなかったからこそ、スタンダールのような小説にあこがれていたのです。


美学のない一個の視る人間。それも強靭に粘り強い、一筋縄ではその視点を他にそらしたりしない人間。
それがおそらく大岡昇平の正体であり、その魅力の本質なのではないかと思います。