『痴愚神礼讃』と『クレーヴの奥方』のこと

2冊の本を読みました。


痴愚神礼讃 (中公クラシックス)

痴愚神礼讃 (中公クラシックス)


痴愚礼讃はエラスムスという人文主義者(ユマニスト=ヒューマニスト)の書いた風刺本。
キリスト教をディスってることで歴史的に有名ですが、それ以上にこの世のあらゆるものをディスってる感じで、読んでいて笑えます。
1511年に出版された本とかで、そんな500年前の本に今目線でひどすぎると思える箇所が普通にあるところがすごい。
当時は禁書になったとかで、これは自分的にももし当時に生きてキリスト教のエライ人なら、「これはアカン!」っていうだろうなあと思いました。
けれど内容的には、そのキリスト教会批判のところだけが批判ということでエライとされているようですが、その箇所だけでなく、本全体の痴愚神、アホ神様が自画自賛して世の中をあげつらいまくっているという態がまずえげつないし、それのおもしろさもあって残っている本だと思うので、やたらにキリスト教会を批判したからエライみたいなつまらない何でもないような見方だけで取り上げていくのはどうかと思います。
実際キリスト教会批判じたいは本の世の中のアホ全員を遠回しにディスるという態から派生した、触れざるを得ないという形で後半にちょちょいと駆け足気味に触れられるだけなので、そこの内容も自由奔放でテンション全開の前半に比べると格別笑えるというほどでもなく、そこばかり重用されるのはフェアじゃないと思いました。
いずれにせよおもしろい本なので買おうと思います。あぶらだこのジャケットに引用されるだけはあるなあと思い、またその痴愚神というスタイルが初期のあぶらだこそのもの(ADK時代)だともわかって、ああヒロトモさんはやっぱりずばぬけた人だったんだなと確信しました。
変態クラブというバンド名でデビューし、最初の曲が「ギブミーアチョコレート」だったという時点でやっぱり相当すごかったのだと思います。





クレーヴの奥方 他2篇 (岩波文庫 赤 515-1)

クレーヴの奥方 他2篇 (岩波文庫 赤 515-1)


こちらは上の本がでて100年後ぐらいに書かれたフランスの恋愛文学の古典とされているもので、その自然の描写だとかを一切廃し、書簡風に必要なことだけ誰かに報告するような形で心理描写だけがひたすら交互に積み重ねあげられていく感じは、フランスって400年前に完成してたんだとか、源氏物語っぽいとか、(書き出しが。訳の影響な気がすごいしますが。。)いろんなことを考えさせられるのですが、考えさせられるというのはつまり話そのものにまったく集中できない証拠で、ジジツそんなにこの本を面白いとは思いませんでした。
エライのはわかるのですが、やはり恋愛をしたことがない人間には、最初の好きという出だしからよくわからないので、なんでこんなに人のこと考えるのかなあ?なんてひどいことを思ったりもしてしまい、その心理描写の長さや、セリフの助長さもあいまって、最後らへんはただただ苦痛に息も出来ないような感じになってしまいました。なのでおもしろいとは全くおもいませんでした。
ただこの小説は何度か映画化されてるらしくて、それなら見たいかなとは少し思いました。それとフランスの貴族は、少なくともこのころのそれは、どことなくイギリスのそれよりもシャキッとしていて、品や気高さがあったのかなと少し思って、そこはすごいなと思いましたが、これも翻訳の影響でしかないような気がします。
いずれにせよ作者のラファイエット夫人は随分世慣れした、宮廷の裏番みたいなアドバイザー的立ち位置の傍観者であったのかなと思いました。

次はバンジャマン・コンスタンの『アドルフ』が読みたいです。
このままこういうつまらなそうなおヨーロッパの古典文学小説をガンガン読んでいき、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』でゴール、そのとき号泣してデミアンを絶賛するくらいの感受性をたしなんでいきたいです。『アドルフ』のちはモリエール、デュマ、『マノン・レスコー』あたりを読み、デミアン後はボードレールなんかに手を出して、とにかく知らないものを減らす作業をこれからも続けていきたいと思っています。