水上瀧太郎全集


昨日大岡昇平全集のことを書きましたが、
同時に今読んでいるのが水上瀧太郎の全集です。
瀧太郎は滝太郎の時も、瀧太郎の時もあるようで、
どちらか統一されていないくらい、現在では忘れ去れている作家のようです。
青空文庫」でもいくつかの作品を読むことができます。


作家別作品リスト:水上 滝太郎


水上瀧太郎がどれくらい忘れ去られた作家かというと、
この僕の手に入れた全集がヤフオクで12巻1000円で出品されており、
なんとなく入札したところ、そのまま1000円で落札できてしまった、
というところからもうかがい知ることができそうです。
もっともこの全集は全巻に図書館の蔵書印が押されているので、
それを忌諱された方もたくさんいると思います。

この水上瀧太郎という人は、一般的に『貝殻追放』が代表作と言われています。
貝殻追放』というよくわからないタイトルの意味はまだその巻まで行っていないのでわかりませんが、
要するに小説ではなくエッセイ集で、エッセイ集のわりには
それを全部収録した一冊本が2万円するくらい膨大である、
ということが特徴です。

もう1つの代表作は大阪を舞台にした『大阪の宿』という作品で、
これと先の『貝殻追放』、それから『銀座復興』という作品が岩波文庫に収録されています。
(『大阪の宿』は講談社文芸文庫にも収録されています)


この人の文章の特徴は、とにかくエッセイ臭く、
何を読んでも一切小説には読めない、ということです。
泉鏡花に師事したらしく、小説内でよくその作品タイトルが列挙されるのですが、
泉鏡花らしい文章を書くかというとそうでもなく、
淡々と、日々の物事を取り留めもなく書いて、予定枚数に達したらおしまいかの如く、
飄々とした、ああこれは時代に残らないな、という作品が多いです。

短編はどれも私小説を意識したのであろう書き方がされているのですが、
どれも工夫に乏しく、きょうはうみへいきました、みたいなことが延々書いてあるだけで、
内容は1つの短編でもコロコロ入れ替わって、
しまいに何を言いたかったのか全然わからない、
読み味すっきりの炭酸の抜けた炭酸水を飲んでから、それが炭酸水だとわかったときのような
そういうへんななんにもない感じが強烈に印象に残ります。
ようするに文章が下手くそな感じ、観察はいいけどそれをどうしていいかわからない人のような、
なんともいえない意欲のなさのようなものを感じるのですが、
しかしそれが、意欲丸出しなものが大嫌いで、
明治の風俗に興味がある人間が読むと、紀行文でも永井荷風の「あめりか物語」
みたいな物語を読まされてる嫌気なんかも抜けた、
なんとも和風料理のような読み応えが感じられてくるのが不思議です。

本当になんでおもしろいのかわからないで読んでいるのですが、
つまらなくはないし、何よりその部分が、きらい、というところに掠めてこないので、
ずるずると読んで、時にはいい話だなとすら感じられてしまうのです。
話は全部水でうすめられたような感じで、
そこにある独特な一種のイノセンス、少年時代だとかそういうものへの憧憬の、
あまりにもキレイな描かれ方(不思議と感傷的)が、
その内容の薄さの水っぽいだぶだぶした感じの中にほどよく溶け合って、
少年が水たまりの中の自分を覗き込んでるような、
そういう何か不思議な感覚にしてくれる文章がしばしばあります。

今2巻の途中まで読んで、大岡昇平全集に熱量が大幅に裂かれたために中断している状態なのですが、
いずれまたぽつぽつ読んで、4月くらいまでには全巻読破したいと思います。