大岡昇平全集

今日は一日大岡昇平全集を読んで過ごしました。
全集は作者がまだ『事件』など、有名な作品を残していない時期に編まれた中央公論社版の全十五巻のものです。

既に一巻をあらかた読み終えていて、今日は二巻全てと一巻の残り、それから三巻収録の短編、それらのうちのあるものと内容が繋がる七巻収録の短編一編を読みました。
三巻収録の長編『酸素』のはじめの二、三行も読みました。

大岡昇平がすばらしいのはやはりその文章の綺麗さ、不潔な昭和の臭いのしてこないところだと思いました。
大岡昇平より年下の大江健三郎なんかの方が余計に昭和を感じさせるのが意外なほどです。
しかし大岡昇平大江健三郎より忘れ去られている作家なのがまた一層すごいところです。

大岡昇平の文章には文章で率直に自分の思ってることは言うまいとしているようなところがあります。
それは別にまどろっこしくしてるわけではなくて、ただ状況みたいなのを丁寧で簡潔な言葉で拾っていくことで、
全体を積み上げていこうとする作業的潔癖さが直接的な、だからこそ作品としてはしばしば無駄になる<作者ことば>を断裁しているからだと思います。

とにかくその、言葉を一行一行ジェンガを積むように置いていく文章には感銘を受けます。

二巻収録の短編に「神経さん」という作品があるのですが、
そこで大岡昇平は碁が好きで、棋譜にならって盤面に石を置いていくように小説が書けないか、みたいなことを言っています。
それは有名な『俘虜記』の第一話である「捉まるまで」を書く前の頃の話で、
たぶん小林秀雄さんに「描写はなるべく無くして書け」と言われたのと、棋譜のことが響いて、ああいう文章が出来上がったのかなと思います。

スタンダールの影響のことは、僕はまだスタンダールを読んだことがないし、読むときは大岡昇平の訳にしようと決めているので、多分僕には死ぬまでわからないことになるでしょう。


それにしても全集読書という半ば暴力的なやり方でぶつかってもまだカンドーさせてくれるなんて、
大岡昇平との出会いはすごいことだったんだな、と改めて思わずにはいられません。