大今良時『聲の形』のこと

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今週のマガジンに掲載された大今良時という方の『声の形』という短編が評判です。

あらすじは聴覚障碍者の女の子がいじめられ、いじめられるけど、最後はハッピーというもの。


最初読んでの感想は、「いじめが全然ちゃんと書かれてない、なんだこの絵空事は!」


といういつもながらの発作だったのですが、その感想を反省しているうちに、だんだん自分が物語というものじたいに、変なきめつけをしていたということに気が付きました。

その決めつけというのは、「何かを描くときは、それをなるだけそれそのものとして描かなければならない。」ということです。


僕はこのマンガを最初、いじめを描いている作品だと思って読んだので、この作品のいじめの描かれ方のあまりのテキトーさに嗚咽をもらすほどでした。しかし、このマンガの主題はどう考えてもいじめではなく、耳の聞こえない女の子と、耳の聞こえる男の子の青春ロマンみたいなところにあるようで、いじめはいわば二人がラブラブになるための舞台装置として使われているにすぎません。この「舞台装置」というものの扱い方を、これまで僕はよく理解していなかったのです。


作家は自分の好きなことのために、好きなだけ別の物事で、その意味を通すことができるということに、いままで何故か僕は気付くことができなかったのです。このマンガはどう考えても、古典的ないじめを受けている可愛い女の子が最後にシアワセになるのは見ててうれしい式のロマンスで、それ以外の内容はどこにもないはずです。それなのに僕はこのマンガのいじめの部分にばかり注意を向け、その現実感のなさ、あまりのテキトーさに吐き気を催していた。

これはものの見方が間違っていたのです。

こういう話はただ純粋に、このカワイソーな女の子のけなげな様子を見て、涙をそそられ、その最後の救いのあるオチに、ああいい話だったなあ!と思えばそれでよいので、それ以上にこういう話に意味はありません。



なのになぜか僕は、この物語の設定に深く、そのまま字義通りに受け取る形で疑問を抱き、その疑問の解消をストレスの発散と同期させて吠えたけってしまった。これはいったいなぜなのでしょうか。そしてまた、多くの読者の人たちも、ネット上で反応をうかがう限りは、やれいじめだの、聴覚障碍者だの、感動だの、そういうことに一途になって、脳が錯乱しているようにしか思えません。



僕はこれまでずっと、何かを書いて伝えるなら、それをそのまま書くべきで、変な道具とか茶番を満載して、それそのものを意味のない、一時の印象だけにしてしまってはならない、と勝手に思い込んでいました。つまり今回のようなやり方はタブーだと思っていて、むしろ今回のようなマンガは、いじめを現実的に描こうとしたが、失敗した凡作、というふうにとらえがちでした。しかしこのマンガは青春ものなのです。青春もので、最後はヒロインと主人公が結ばれるという、ごく当たり前の結末があるだけの話なのです。ここには何の暗い影もなければ、意味もないし、ただ作者がいいな!と思った恋愛の一つの形が、マンガの形式で表現されているだけです。これをわれわれは、実際の何かを描いたものとしてとろうとし、その解釈を誤ってばかりいる。これはほんとに徒労だと思いました。


そしてこういうものの見方が実は普遍的にあるということに、僕は今気付いて驚きを隠せません。これは絶望です。マンガは嘘でよくて、それでお金を稼げればいいものだというのであれば、それは絶望です。現実は作者にとって道具で、それで万事解決でオーケーなのでしょうか?現実を書かず、何か恋愛観なり、観念を書きたいなら、それを読む人が現実の人で、それを字義通りに受け取るということを、打っちゃってよいのでしょうか??


僕はこのマンガを読んでこれがいじめだなと思う人がいればその人のいじめ観はその人の人生においてずっと悲惨なままだと思います。いじめは青春の障害物ではないので、いじめを経験したことのない人がこういうものをいじめだなと思うのは本当にうんざり。けれどもそれはその人のモラルの程度の問題ではないか、ということもでき、これをただのマンガとして読めない人は、それだけ現実をわかってないので、そういうふうに解釈するのは当然で、そんなやつほっとけ、ということもできます。少なくとも僕はそう思うしかない。そんなやつは一生、うんこを世界一のごちそうだと思ってむさぼり喰っとけ。


このマンガはただの恋愛もので、これについてやいのやいのいう人は、みんな程度が低い。だがしかし、この作品はやっぱり問題作といって間違いのない作品だと思います。それはいじめを、恋愛ものの舞台装置にしてしまって、その現実を置き去りにしたことに、やはり罪がある、重く受け止めるべきだと僕は思います。



一言で言うなら、FUCK OFF!!