ハーバーマス『近代―未完のプロジェクト』のこと


近代―未完のプロジェクト (岩波現代文庫―学術)

近代―未完のプロジェクト (岩波現代文庫―学術)


おもしろかったです。翻訳ものなのでこの言葉の意味をこの漢字に当てはめるんだ〜みたいなアレのせいで、文章的には漢字が必要以上に跋扈するちょっとでも目を離すと意味がわからなくなるアレだったので、残念ながらまだ全然文章の意味がわかっていないのですが、でもおもしろかったです。
文章を読んでいるときにぼんやりと頭の中に入ってきた言葉の意味からすると、この本の著者のハーバーマス氏は、右翼だとか左翼だとかそういうさまざまな枠組みのどれかというよりは、第三者的な目線(そういうのがありうるとすれば。。)で、そのそれぞれの陣営の考え方をああだこうだと検討して、どれがこの国の建前に一番見合うか、というところで物事を判断されようとしているらしく、これはあんまりセイジのことに詳しくない僕にはどういう立場なのか適切な言葉が見つからないのですが、中途半端なその場その場の気持ちで物事を決めるよりは、常にそれがどういうことなのかという基本に立ち還って、人間社会というものを、今のこういう風にこういう形に続き続けている人間社会を、その利点を、末永く守っていこうではないか、という視点に立っておられるのかなと感じられました。

と言ってしまうとハーバーマスという人はまるで右翼みたいですが、右翼というよりは18世紀とか、その頃の昔の進歩主義みたいな枠の中で考えられた、人間の恒久的なコンドルセ的平和みたいなものを、ああだこうだと今は無理だというくらいなら、きちんとその枠で考えられた理論の目指す方向性くらい共有しろ、それがシミンシャカイだろ、シャカイケイヤクだろ、というようなことをおっしゃりたいようです。
つまり、現代という時代になって、そのような民主主義、現在世界の覇権を担うことになった体制の、それが始められたときの公共性という理念や、そういうもろもろの近代性というものが、いつの間にかその頃の科学なりの発展が原爆を産んだりしたことなどから批判されるべきものとなってなんだか見たくない過去へと転化して行ってるのに、ひとり政治体制だけがそのまま骨抜きになった状態で放置されているようにその内部で保守化ミンゾクシュギ化していき、だんだん名前だけの形骸的なものになりつつあることにオイ!という思いを抱かれている模様。
またこの本は1989年のベルリンの壁がどうこうという時代に書かれた論考をメインに収録しており、読んでいると東西の合流というのが決して解放ではなかったこと、そういう風に目指されていたものの達成のされ方が全然理想していたものとは違ったこと、けれどそれをあたかも理想的に達成されたものとしたい勢力がのさばっていたことなどがわかり、またここに現れるアウシュヴィッツという過去(日本で言う南京とか)との対立の仕方と言うのがいかにも日本のそれと似ているようで(戦前派戦後派)ああ、ドイツって同盟国だっただけあって日本とかぶるところが結構あるんだなあという思いが強く残りました。

しかしいったい本当に、ここでハーバーマス氏が提唱しているような、「あたまでかんがえるせいじ」みたいなものがなされるでしょうか。こういうエライことを書く人は、たいてい一人ひとりがもっとがんばればできるという姿勢ですが、そんなに、そんな日常生活からかい離したことに人はがんばれるかというところがいつもこの考え方では解消されないように思います。この本の読後感もそんな感じでしたが、別にハーバーマス氏はちゃんとやってほしいこと言うからちゃんとやれよ、というタイプの人間ではなく、(ドイツの人にはいうと思いますが)あくまで批判としてこれらの文章を書かれているので、読んでいても押しつけがましくなく、ああうん、そうか、そういう考え方もあるんだで済む程度にしかどうなんだろう?とは思いませんでした。

それにしてもこういう物事を愛国心だべ、愛国心を抱いてるんだべみたいな譫妄ではない形で、はっきりとみるのはとてもエライことだと思うし、僕も賢いんだべ、この見方は賢いんだべ、という譫妄ではない形で、このようなはっきりとものをみるエライ形のものの見方というものをものにしたいと思いました。こういう見方ができたところで、実際何の役に立つかと言われると、別に普通に日本人として、選挙のとき選挙に行くくらいでしか「こくせい」に関わろうと思わない僕には意味のないことなのですが、かといってそれじゃあもう本を読むのはやめようという気持ちにもなれないので、これからもこのような何の為になるのか見当のつかない本を読む活動を続けていきたいと思います。


この本の序文でハーバーマス氏は自分はインテレクチュアルズで、その目線でこれらのものを書いたというようなことをおっしゃっています。インテレなんとかというのはようするに、自分の関係ない事柄について思うことをコメントするという、僕はワイドショーのコメンテーターとか、この問題どう思いますかと聞かれてフムフム〜みたいな返事をする脳が半分死んでそうな人たちのことを想像したのですが、とにかくそういう、専門家が自分の専門外の分野に口を出す(すごくまじめに)ということを表すのだそうです。そういうことを活発にする人をインテレなんとかと呼ぶのだそうです。そしてハーバーマス氏も、そういう観点に立ってこれらの文章を書いたとおっしゃっています。そういうのが現代社会には大切だそうです。

この一連の論文は岩波の出してる『思想』という雑誌に載ったそうで、そういう外国のエライ人のエライ文章が翻訳されて載ってる雑誌もあるんだと知って少し驚きました。現代思想とか、なんでその名前でクリントイーストウッドを特集するんだ?みたいな(ユリイカだった気がする。。)本質的におためごかしっぽい雑誌ならよく知っていますが、そのようなこんな誰が読むんだ?的文章を翻訳して載せる雑誌があったとは、やっぱり岩波書店ってすごいな、と思いました。しかもちくま学芸文庫なら1500円くらい平気でとりそうなこの内容が1100円というお値打ち価格なのも非常にいいと思います。
講談社学術文庫岩波文庫の真面目さに対する平凡社ライブラリーちくま学芸文庫の「おしゃれなんやし、君こんなん読むやろ?」みたいな感じのオエーとなる雰囲気はいったいどこが違うのか・・そういう点も考えつつこれからもハーバーマス氏の本をもっと読んでいきたいなと思いました。